固定残業代の見直し、その激変緩和措置は「別切り出し」か「総報酬補償」か

固定残業代(みなし残業代)の時間数を引き下げる、あるいは制度自体を縮小する——。働き方改革や残業時間の実態との乖離を背景に、こうした報酬制度の見直しに踏み切る企業が増えています。

しかし、固定残業代の削減は労働者にとって賃金の不利益変更に直結するテーマです。多くの企業が「激変緩和措置を入れれば大丈夫だろう」と考えて設計に着手しますが、実はその激変緩和措置の「入れ方」そのものに、法的リスクを大きく左右する分岐点があります。

本稿では、実務で採用される2つの設計方式——①固定残業代の別切り出し方式②総報酬補償方式——を比較し、どちらを選ぶべきか、その判断枠組みを整理します。

2つの方式とは何か

まず、それぞれの設計思想を確認しましょう。

①別切り出し方式は、固定残業代を独立の賃金項目として維持したまま、削減によって生じる差額分を「調整手当」「経過措置手当」といった別建ての手当として支給し、あらかじめ定めた期間・逓減率に従って段階的に縮小していく方式です。給与明細上、「基本給」「固定残業代」「経過措置手当」がそれぞれ独立して見える設計になります。

②総報酬補償方式は、固定残業代を含めた賃金の総額(年収ベース)を一つのまとまりとして捉え、「総額が下がらないこと」を軸に内訳を組み替える方式です。固定残業代の削減分を基本給などに振り替え、労働者から見た受取総額を維持します。「あなたの年収は変わりません」という説明ができるため、労働者の心理的抵抗が最も少ない方式です。

一見すると、②の方が労働者に優しく、トラブルも起きにくいように思えます。しかし、法的な構造を分解していくと、話はそう単純ではありません。

分析の枠組み:労働法規の「二重構造」で考える

この問題を整理するうえで有効なのが、労働契約法や労働基準法が持つ二重構造という視点です。

労働法規には、就業規則の作成・届出・周知といった外形的な手続要件(公法的な性格)と、その中身が実質的に妥当かを問う実態判断(私法的な性格)の両面があります。重要なのは、外形的な手続をどれだけ丁寧に踏んでも、実態判断のレベルで「見せかけ」と評価されれば、その設計は崩れるという点です。

固定残業代の有効性判断がまさにその典型です。判例(日本ケミカル事件・最判平成30年7月19日)は、契約書上の名目や計算方法の表示だけでなく、その金額が実質的に時間外労働の対価として支払われているかという実態を重視します。つまり、固定残業代の見直しを設計するときは、「規程の文言をどう書くか」と「実態がその文言と一致し続けるか」の両方を見なければならないのです。

②総報酬補償方式の落とし穴

総報酬補償方式には、判例上の支えもあります。賃金制度の不利益変更をめぐる裁判例(ノイズ研究所事件・東京高判平成18年6月22日)では、賃金原資の総額が維持され、評価を通じた昇給機会が平等に保障されていれば、個別項目の減少は「引き下げ」ではなく「再配分」であるとして、変更の合理性が認められました。総額で見る、という発想自体は判例法理と整合的なのです。

しかし、この方式には見落とされがちな3つの構造的リスクがあります。

第一に、基本給への振替が「固定残業代の付け替え」と評価されるリスクです。削減した固定残業代の金額と機械的に連動した基本給の引き上げは、実態判断のレベルでは「名目を変えただけで中身は同じではないか」という疑義を招きます。そうなると、固定残業代を減らしたという外形自体が実態を伴わないものと評価され、制度変更の必要性や相当性の説明が根元から揺らぎます。

第二に、割増賃金コストへの跳ね返りです。基本給を引き上げれば、割増賃金の算定基礎額が上がります。固定残業代を減らしたつもりが、残業単価の上昇によって想定外のコスト増を招く、という本末転倒が起こり得ます。退職金や賞与が基本給連動であれば、影響はさらに波及します。

第三に、「総額補償」がカバーできるのは総額が本当に維持されている範囲までという限界です。実務では、経過措置の逓減によって数年後には総額自体が下がる設計が少なくありません。この場合、最終的に減額される部分については、総額補償の論理では正当化できず、賃金引き下げに要求される「高度の必要性」(大曲市農協事件・最判昭和63年2月16日)の立証、あるいは評価制度と連動した再配分設計が別途必要になります。つまり、②を選んでも立証負担は軽くならないケースが多いのです。

①別切り出し方式が構造的に安全な理由

一方、別切り出し方式は、外形と実態の一致——名実一致——を保ちやすい構造を持っています。

経過措置手当として削減補填分を明確に区分し、「いつまで・いくら・どのように減っていくのか」を規程に明記する。この設計は、不利益変更の合理性審査(労働契約法10条)において重視される「経過措置の有無・内容」を、規程文言そのものが立証資料になる形で担保します。「最初から決まっていたことを、最初に開示している」という手続の誠実性も、合理性判断でプラスに働きます。

また、基本給・固定残業代・経過措置手当が独立して管理されるため、固定残業代の有効性要件である明確区分性・対価性を毀損しません。固定残業代の時間数・金額・差額精算条項を明記した設計と組み合わせれば、労働基準法37条の観点からも堅牢な構造になります。

ただし、①にも注意点があります。経過措置手当の終期と逓減率を曖昧にしないことです。「当分の間支給する」といった規定で恒久的に支払い続ければ、経過措置という名目と実態が乖離し、既得権化・恒久手当化のリスクが生じます。名実一致は、②だけでなく①にも課される規律なのです。

実務で見落とされがちな「過去の運用」という変数

ここまでは制度設計の一般論ですが、実際の判断では、もう一つ重要な変数があります。その会社が固定残業代をこれまでどう運用してきたかです。

たとえば、欠勤控除の時間単価を「(基本給+固定残業代)÷所定労働時間」で計算してきた会社を考えてみましょう。欠勤控除は、ノーワーク・ノーペイ原則に基づく「所定内労働の対価」の不支給です。その控除基礎に固定残業代を含めているということは、会社自身が固定残業代を所定内労働の対価として扱ってきたことを意味します。これは、固定残業代の対価性を実態レベルで毀損する運用です。

こうした運用実態がある会社が②総報酬補償方式を採用すると、どうなるか。「固定残業代も含めた総報酬」という設計思想は、従前の固定残業代が時間外労働の対価としての実態を成していなかったことを、新制度の設計思想としても追認することになります。過去の未払割増賃金リスク(賃金請求権の消滅時効は3年)を自認する方向に働くうえ、新設する固定残業代まで最初から矛盾を抱えてスタートすることになる。過去の瑕疵の清算ではなく、瑕疵の論理の恒久化です。

逆に①別切り出し方式であれば、報酬制度変更を契機として、固定残業代条項の再整備と欠勤控除規定の是正をセットで行い、新制度発効日を境に対価性・区分性を回復した固定残業代へと性格を切り替えることができます。過去の問題は旧制度下のものとして時間的に切断され、報酬制度変更というタイミングだからこそ、この是正を不自然さなく実行できるのです。

まとめ:判断のフレームワーク

固定残業代の不利益改定における2方式の選択は、次のように整理できます。

判断軸①別切り出し方式②総報酬補償方式
固定残業代の有効性要件との関係明確区分性・対価性を維持しやすい付け替え評価のリスクを内包
不利益変更の合理性立証経過措置の名実一致で明瞭総額が最終的に減る設計では立証負担が残る
割増賃金コスト影響を限定的に設計可能基本給振替により単価が上昇
過去の運用瑕疵がある場合是正・切断の契機にできる瑕疵を追認・恒久化するおそれ

一般論としては両方式とも成立し得ますが、構造的に安全なのは①別切り出し方式です。そして、固定残業代の運用に瑕疵の疑いがある会社——欠勤控除の計算方法、差額精算の未実施、時間数の不明示など——にとっては、①はほぼ一択と言ってよいでしょう。

固定残業代の見直しは、単なる賃金項目の付け替え作業ではなく、就業規則・雇用契約書・給与計算実務・過去の運用実態までを横断する制度設計です。自社の運用実態の棚卸しから始めることを、強くお勧めします。


※本稿は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案への適用にあたっては、最新の法令・判例をご確認のうえ、専門家にご相談ください。

執筆者

社会保険労務士法人ユナイテッドグローバル

代表 社会保険労務士 川合 勇次

大手自動車部品メーカーや東証プライム上場食品メーカーで人事・労務部門を経験後、京都府で社会保険労務士法人代表を勤める。単なる労務業務のアウトソースだけでなく、RPAやシステム活用することで、各企業の労務業務の作業工数を下げつつ「漏れなく」「ミスなく」「適法に」できる仕組作りを行い、工数削減で生まれた時間を活用した人材開発、要員計画などの戦略人事などを行う一貫した人事コンサルティングを得意としている。

※本記事はあくまで当職の意見にすぎず、行政機関または司法の見解と異なる場合があり得ます。 また誤記・漏れ・ミス等あり得ますので、改正法、現行法やガイドライン原典に必ず当たるようにお願いいたします。

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